パッチ7.35で一番やりたかったクエスト。
当記事は黄金のレガシーやフカヨイ族・蛮族クエストのネタバレを含み、考察みたいな要素も入ってしまっていますので、苦手な方はご注意ください。
僕はフカヨイ族が結構好き。
理由は2つある。
1つはFF11に登場するNPCだから。
僕がオンラインゲーマーとしての生を受けたのがFF11、僕の青春の一つと言って差し支えないくらいにはプレイしてきた。その中にグーフールーが登場する。
FF14では司祭長だけど、FF11に登場するグーフールーはフカヨイ族ではなくトロール族と呼ばれており、トロール語を喋りトロール傭兵団を率いて皇都に攻め入ってくる。
この時のなんてことのない数秒の登場シーンとセリフが好きで、敵ながら気に入っていた。

もう1つは気は優しいけど力持ちな職人タイプだから。
僕は職人と呼ばれる人の仕事が結構好き。磨かれた技は美しく長い時を掛けてきたことがわかるし、この技を習得するまでにどれだけ自分と向き合い、知識を深めたのだろうと思いを巡らせることが好きだからだ。そしてそんな磨いた技をひけらかせもせずに、口数はすくないけれど所作や表情からは優しさと厳しさが漂っていたりする。
職人気質でいえば下町タイプというか威勢と気前が良くてサッパリしているタイプももちろん好きだけれど、フカヨイ族はどちらかと言えば前者のタイプだと僕は思う。

そして死生観が素敵。
メインクエストより、フカヨイ族の死生観が明確になっているセリフがあるので紹介したいと思う。
「そもそも我らが考える『死』は、君たちのそれとは異なる。人が死ぬのは、心臓が止まったときではない。自己の存在が、すべての人々の心から消え去ったときだ。」
素敵だ。
死という恐怖と向き合い、誰からも何も奪わず他者の力を借りながら、誰もが永久人足りえる。
なんだか理由が三つになった気がするな?

ひとつのセリフに他力本願ではなく、信頼と願いを感じる。
僕はこれからの大切な人との別離をどうするのだろう。
別離なんて経験したくはないけれど、そう言って忘れてしまえるだけの年齢でもなくなってしまったように思う。僕の心臓が止まったとき哀しんでくれる人はいるのかなあ。

暗くなりがちな、”死生観”を扱った黄金。
黄金のストーリーは暗いときの歩幅が近く大きく感じて、平穏が急に崩れ去る恐怖と、覆いかぶさってきてドロッとまとわりつくような絶望感が感情の処理を間に合わせてくれなかった。
僕は嫌いではなかったし、色々と考えを巡らせたり、妄想したりしてしまう性質なのでストーリーを楽しめた。でもそれは、大切な人との別離の経験が少ないからかもしれないとも思うようになった。オマージュ要素も相まって、メインストーリーには賛否両論ありそうだと思うけれど、他のプレイヤーがどう感じるかはわからないし、好みの問題でもあるから何かを言いたいわけではない。
本クエストはもしかすると、恐怖と向き合ったり、絶望から立ち上がる可能性のひとつを心の在り方という方法でメインストーリーより手の届く距離に感じて示してくれるのではないか思っている。
クエスト発注者のファーラファーは、見ていてくださいと少し遠くの空を見て言った。

その一言は僕に言ったというより、彼の決意をより固くするための宣言のようで、目には決意が宿っていた。
私の好きな本のひとつに “さよならが与えてくれた力を信じている” という一節がある。
さよならに力があるとするなら、このクエストを見届けることが、さよならの力を理解する手助けになるのではないか。
彼が何を感じ、どうするのか。
そしてこの場所がどのように復興し、歴史の一部になるのか。
その姿を近くで見られることと、力を貸せることが嬉しい。
そして僕は、このクエストの先に何を想うのだろうか。
どんな結末になるかはわからないけれど、愉しんで見届けたいと思う。

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