僕がFCを去る決心をしたときに、相談をした人が二人だけいる。
一人はやみさん。

元FCのリーダーであり、思えば結構長い付き合いのフレンドだ。
そして、もう一人がうづきさんである。
極7.2ブラインド攻略のリーダーで、僕に超える力を分け与えてくれた人でもある。
僕の決心を話したときやみさんは、FCを去ってもなお、このFCは僕のいつか帰る場所でもあることを示してくれて、うづきさんは彼女なりの何かの決心があるようだった。
僕はたくさんの善意に応援してもらって、FCを作ることができた。
ヴァイパーになった僕だけのFC。
ログインする度に手癖でFCリストを開いてしまうと、リストには僕ひとりだけが表示される。
ひとりでも歩き出さねばという気持ちがある一方で、自分だけしかログインしていなくて何も会話がなくても、誰かがいる場所があるという安心感が恋しくなった。
覚悟をしてFCを作ったといっても僕の芯が一瞬で急に変わるわけではないということを痛感させられる。
僕はどんなFCを作りたいのか。FCを作って何をどう楽しみたいのか。
考えすぎてしまって身動きが取れなくなる前に一歩踏み出した。
それでも、長い目で見て安定した基礎を築くべきだ。
どんなことが起こっても、僕という人間の基礎があれば、前を向いていることができる。
逆に僕が不安定であれば、どんなに素晴らしいものでも崩れてしまうだろう。
解像度の低い画像を見ているようで、手探りで自分の形を探るようでもあるこの状態は正直落ち着かない。
ただひとつわかっていることは、焦ってはいけないということ。
自分を見つめ直して、自分を理解することが今は何より大切にしたい事だ。
もう自分以外の誰かの期待のままには生きない。
僕はゼレニアのように誰かの為に生きれるほど強くはなかった。
でも、”強くないことは何もできないということ””ではない”とも教わった。
そして僕がFCを作って少しが経った頃…。
FCメンバーが増えた。

彼女の決心がどういうものなのか、僕はうづきさんではないので言及できないしする気もない。
FF14での話を聞くとき、大抵彼女はFCメンバーへの感謝を多く口にしていたからたぶん、悩んだ末の前向きな決断なんだろう。
うづきさんと話をしていると感心することがある。
何気ない話の中でするFF14の世界観の造詣が深い。彼女らしい高い感受性と調べたであろう知識からの会話は、何気ないものであっても解釈や表現、人物像の豆知識といった一つひとつの輪郭がハッキリとしていた。そしてそこにFCメンバーやフレンドとの体験談が混ざった話はどれも解像度が高く、それが失敗談でも色濃く本当に楽しそうで、そんな話を聞くのが僕は好きだった。
メンバーが増えたのなら、何か意味のあるFC名が欲しい!

僕は安易にそう考えたw
僕がアイディアを出すと、うづきさんはそれに関連する言葉や語源、関連する画像まで挙げてくれ、さらに好きな言葉、過去に感激したことを教えてくれた。
僕はわがままジュリエット(有名バンドの大ヒット曲)やティンガーラ(沖縄の方言で天の川)とか、果てはケルト神話に出てくる歳を取ることのない永遠に若くいられる地上の楽園であるティル・ナ・ノーグまで思いつくまま気の向くまま、好き勝手に思考を放った。
とある映画の一節に出てきて知っただけのこの楽園をなぜかずっと心に留めている。
永遠に若くいられる楽園を求めてでもいるんだろうか…w
永遠の命ではなくて、永遠に若くいられるという世界観に、僕は老いと死への恐怖を感じる。
今も昔も色んな死生観があって、古くは縄文時代の土偶や石棒は生命が循環・再生する死生観を表しているという事を恥ずかしながら最近知った。死者を弔い、再生を願うというのはこんなにも古い願い、言ってみれば原初の願いであり、再生という概念がこの時代にはもう既に在ったと思うと感慨もひとしおで、FF14にさらなる味わいを与えてくれた。

とりわけ黄金のレガシーでは、オマージュ作となるFF9での死生観とFF14作中での解釈が大きくストーリーに関わり僕の心を揺さぶってくれたけれど、この種の考察はまたの機会にでもしたいと思う。(するとは言っていないのやつw)
とにかく、好き勝手思想を巡らせる僕にうづきさんは自分の考えも混ぜながら色々な案を出してくれた。
そしてそのひとつに薄明光線という現象があり、イメージとして貼ってくれた画像が何か妙に僕を納得させた。「あ、これだ。そういうことだったのか。」と理解したような感覚に近い。

※日本の季節を楽しむ暮らし 暦生活 様 より引用
そこから僕は、食事中も仕事中も寝ても覚めても、FC名と示してくれたイメージについて思考を巡らせていた。
光をモチーフにするなんて光の戦士らしくていい。
FCを光差す場所にしたい。温かで希望のような光がさす場所。
今の僕は、ただ前だけを向いて夢や希望を無垢に語れるほど前向きではないし、誰かを照らせるほど強くもない。むしろ僕は自分が思っていたよりもずっと弱くて、まだ僕の心は、誰かや何かに簡単に雲に覆われてしまう。でもそれでいいんだよな。
弱い僕ができることを考えながら、うづきさんの提示してくれた言葉やエピソードを思い返し、薄明光線の画像を眺めて、これまでの僕を振り返りながら自身を見つめ直す。

そんな日が何日か続いた。
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光差す場所のイメージが強かったけれど、結局フォーカスしたのは雲のほうで、他人の心や環境に、簡単に雲は覆ってきてしまうけれど、その雲があるから光が映えるのかもなと思ったのが軸。
雲の所為というよりは、雲のお陰で見え方や形変えながら光を美しく感じられる薄明光線という解釈。
光=希望と姿を変えて光を取り入れて、色々なことに簡単に影響されてしまう僕だけど、弱いなりに考えることで、考え続けることで、輝き方を変えられるのかもしれない。僕なりの弱さを忘れないからこそ、いつかまた心が雲で覆ってしまっても、希望を考えながら輝いていきたい。
僕の今の心と願い込めた名前。
ペンサントエルピス
希望を考える。

愛称はぺっぷだ。
うづきさん、FC名はペンサントエルピスにしました。
僕がそうメッセージを送ると、うづきさんは素敵だと言ってくれた。
FC名を決めたことで、僕の光の見え方が小さく変わった気がした。
少しばかり広くなった光の線を感じながら、僕はひとつ自分を理解した。
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