かつてのFCリーダーであり、ギャザクラの、ひいてはFF14の師匠であるやみさん。(勝手に弟子になった)
先日ちょうど焦がれの入り江で遭遇した。
カエルの着ぐるみを着た師匠に対して、僕はリスの着ぐるみを着る。
リスの師はカエルが相場だろう。根拠はまだない。
猫の小判を砂で磨く
勢いのままにコスモツール2本目作成に着手した。
狙うは園芸師の「スペース・ハチェット」!

コスモツール完成のためには、メカオペレーションに参加してボーナスを獲得し、コスモミッションをこなす。ひたすらこの繰り返しだ。ずっとやっていると要領が掴めてきて、メカオペレーションがいい感じのタイミングで発生し、ボーナスが途切れることなく順調に進められるようになった。

とはいえ、さすがに慣れてくると「中だるみ」というか、飽きみたいなものがやってきて、どうしても作業感が出てしまうことは否めない。
思えば僕は、自分だけの為に何かをするのが苦手というか、モチベーションが維持できないという性質なのだと思う。
僕は自分の所属するコミュニティや仲間の為に貢献できることは、自分のことを後回しにしてもやってしまうことが多かった。少なくとも今まではそれを喜びにしていたし、相手を思いやり、親切にするというようなことは祖母から母へ、母から僕へ受け継がれてきた「美徳」だと感じてる。
ただその一方で、自分の時間を”誰か”に使いすぎてしまい、自分の気持ちを我慢して負担になっていたことも事実だ。
自分のことや大切な人になら、自分のできることを全力でやって、例えばできなくなってしまっても話ができるし理解してもらえる。そう思ってずっと自分や大切な人やことを後回しにして生きてきた。
そのせいか、自分のしたいことを”時間をかけて楽しむ”ということをあまり良しとしなくなった。
もしかすると僕は、時間を使って何かを楽しむというのは、仲間内で集まるときだけで、何かに所属しないと何かを楽しめなくなっていたのかもしれない。
師の教え
これからは自分の時間を生きながら、祖母から受け継がれてきた美徳も手放したくない。
でもそんなことできるんだろうか。
作業に飽きながらそんなことを考えていると、黄金実装後の頃、同じようにギャザクラのレベル上げに飽きていた記憶が蘇ってきた。ストーリーが一段落して、色々なジョブを触り始めたころだったと思う。
「レベル上げるのめんどうだ~ やみさんどうやってレベル上げてるの?」
ギルドリーヴをやりながら、僕は何の気なしに聞いてみた。
「素材をたくさん掘ればレベルが上がるのよ~」

…。
まあね。
素材を掘れば、経験値も貰える。
経験値が欲しいというよりは、素材が欲しいから素材を取っていると、経験値も貰えてレベルも上がる。
シンプルに強い。まさに「猛者の撃」である。
「www 面倒じゃないの?w」
冗談めかして続けた僕に師匠はこう言った。
「素材も経験値も貰えるのは今しかできないからね~。一度で二度おいしいのよ~。」
あ、そうか。
やみさんは今しかできない楽しみ方があるとわかっていて、楽しんでやっているんだ。

僕にとっては金策半分、ジョブレベルの並び面を整える半分の「面倒なだけ」だった作業。
この時の師との会話は、僕の知らないギャザクラの世界を開けてくれた。
本人は忘れていると思うし、普通のことを普通に話しているだけかもしれない。
まさに「静者の撃」である。
そんなことがあってから、僕はより一層やみさんをギャザクラの師と仰ぐようになった。(勝手に)もちろん、プレイできる時間は人によって違う。だから効率どうこうを否定したいわけじゃない。
自分がしたいからする。自分らしく自分なりの楽しみを見出して前向きに何かをする。
これだわ。
手中の珠を砂で磨く
コスモフォーチュンをきっかけに祖母が僕に教えてくれたことを理解した。
祖母から母へ、母から僕へ受け継いだ美徳。そしてFF14の師匠から教わったこと。
たぶん、今の僕の心の形で、求めているものだ。
どんなことが起きても、自分らしく前向きでいられることができて、自分がしたいからする。
そしてそれができるような人間になる。
全てがわかったなんて言えないけれど、自分を犠牲にして誰かに何かをするのはお互いの為にはならないのかもしれない。
自分は見返りなんて求めてないけど、やって”あげた”と心のどこかで思うだろう。それが積み重なっていくと、自分ばかりが我慢してやってあげているのにとなるのかもしれない。
相手は我慢していることも、こちらの気持ちもわからないのだから、感謝も何もないのは当然だ。
人がどう感じるかはわからないけれど、相手だって貴重な時間を割いてもらうのは重たいと思うかもしれない。
でも自分がしたいと思ったことなら、相手どうこうは関係ない。
自分のしたいと思ったことが相手に迷惑を掛けないのであれば、その結果がどうあれ僕は納得して時間を使える。
思いやりを楽しみながら、自分のしたい事を必要な分だけする。
自分が注ぎたい器に、自分の意志で砂を注ぐ。
答えはやっぱりここにあった。
持っているものを自覚しただけなのかもしれない。
言葉にできなかったことを言葉にできるようになっただけなのかもしれない。
僕という人間は、僕以外の人に結構影響されて形ができているんだ。
注いでもらった砂で、磨いて、心の意の形を創る。
ピントが合った時のように、急に心の解像度が上がったみたいだ。
自分の心のさらに深いところに腑に落ちた。
そして…。

2本目のコスモツール!スペース・ハチェット完成!
祖母と母と、そしてFF14の師匠から教わったことに感謝し、自分の意志で、これからも滔々(とうとう)と進んでいく決意を抱いた。



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