【FF14】さよならの先に:ヨカフイ族 パッチ7.35友好部族クエスト考察【エッセイ】

日常譚

パッチ7.35で一番楽しみにしていたクエスト。
メインクエストでも登場したヨカフイ族の「死生観」、その先にあるものを見つけるための一歩。

※この記事には「黄金のレガシー」およびヨカフイ族の友好部族クエストのネタバレ、そして僕個人の考察が含まれます。



ヴァナ・ディールの記憶と、姿を変えて生きる「彼」

僕がヨカフイ族に惹かれる理由。原点はFF11にある。

FF11は僕にとって良き思い出だ。
僕が初めてプレイしたMMORPGでオンラインゲーマーとして生を受けたのがFF11だ。大げさに言ってしまえば生まれ故郷とも言えるし、青春の一つと言って差し支えないくらいにはプレイしてきた。

その故郷、ヴァナ・ディールに「グーフールー」が登場する。

FF14では司祭長として登場するけど、FF11に登場するグーフールーはヨカフイ族ではなく「トロール族」と呼ばれており、トロール傭兵団を率いて皇都に攻め入ってくる存在だった。

「ビシージ」と呼ばれるバトルコンテンツで、”蛮族が攻めてくる”という今までにない要素に故郷は沸いた。

普段は街として機能しているエリアだが蛮族勢力の侵攻に伴い市街戦が行われる。通常のNPCが姿を消し、競売やショップなどを利用できなくなり、友軍NPCまで配置される。

しかし実はこの人気のせいで、あまりのプレイヤーの多さに回線落ちや処理落ちが頻発した。

「周囲には誰もいない(表示されていないだけで実際は存在する)のに、動けなくなったと思ったらHPが0になっていた」なんてことは良い方。負荷が原因で回線切断されログアウトすると、そもそもバトルエリアに入場できないなんてこともあって、さらに報酬は防衛成功するまでもらえないので、人によってはコンテンツに参加できるようにお祈りし、回線切断に怯えながらプレイしていた。

今の環境からすれば、「それはどうなんだ…」と思われるかもしれないが、当然これはこれで楽しくて、「また○○(フレンド)がおちたwwwあ~報酬うめえ~w」とか、「重すぎて落ちたと思ったら無線PADの電池切れてたwww」とか、「味方が表示されないのかと思ったらマジで人少ないwこれ防衛きついぞwww」とか言いながら遊んでいるのが楽しくて仕方なかった。
昔の行き届いてない環境ならではの”味”があったし、皆がそれを受け入れて楽しんでいた。

皇都へ攻め込んできたときに流れるなんてことのない数秒の登場シーンとセリフも好きだったし、楽しい思い出も手伝って、グーフールーを気に入っていた。

優しき職人たちと、ヨカフイ族の「死生観」

もう1つは「気は優しいけど力持ちな職人」タイプだから。

僕は職人と呼ばれる人の仕事が結構好きだ。
磨かれた技は美しく長い時を掛けてきたことがわかるし、この技を習得するまでにどれだけ自分と向き合い、知識を深めたのだろうと思いを巡らせることが好きだからだ。

そしてそんな磨いた技をひけらかせもせずに、口数はすくないけれど所作や表情からは優しさと厳しさを漂わせている。
職人気質でいえば下町タイプというか威勢と気前が良くてサッパリしているタイプももちろん好きだけれど、ヨカフイ族はどちらかと言えば前者のタイプだと僕は思う。

そんな「形あるものを残す職人」である彼らだからこそ、メインクエストで語られた彼らの死生観は、ひときわ美しく響いた。

メインクエストより、ヨカフイ族の死生観が明確になっているセリフがあるので紹介したいと思う。

「そもそも我らが考える『死』は、君たちのそれとは異なる。人が死ぬのは、心臓が止まったときではない。自己の存在が、すべての人々の心から消え去ったときだ。」

素敵だ。

死という恐怖と向き合い、誰からも何も奪わず他者の力を借りながら、誰もが永久人(とわびと)たりえる。

ひとつのセリフに他力本願ではなく、「他者への信頼と願い」を感じる。
僕はこれからの大切な人との別離をどう乗り越えていくのだろう。
そもそも乗り越えられるんだろうか、乗り越えるものなんだろうか。
別離なんて経験したくはないけれど、そう言って「忘れてしまえるだけの年齢」でもなくなってしまったように思う。僕の心臓が止まったとき哀しんでくれる人はいるのかな。

暗くなりがちな、”死生観”を扱った黄金のレガシー。
黄金のストーリーは暗いときの歩幅が近く大きく感じた。
平穏が急に崩れ去る恐怖と、覆いかぶさってきてドロッとまとわりつくような絶望感が感情の処理を間に合わせてくれなかった。

僕は嫌いではなかったし、色々と考えを巡らせたり、妄想したりしてしまう性質なのでストーリーを楽しめた。でもそれは、「大切な人との別離の経験」が少ないからかもしれないとも思った。
オマージュ要素も相まって、メインストーリーには賛否両論ありそうだと思うけれど、他のプレイヤーがどう感じるかはわからないし、好みの問題でもあるから何かを言いたいわけではない。ただ、「死と別れ」を突き付けられたことは確かだと思う。

さよならの力を見遣って

クエスト発注者のファーラファーは、「見ていてください」と少し遠くの空を見て言った。

その一言は僕に言ったというより、自身の決意をより固くするための宣言のようで、目には決意が宿っていた。

今回の友好部族クエストは、もしかすると、恐怖と向き合ったり、絶望から立ち上がる「可能性のひとつ(心の在り方)」をメインストーリーより手の届く距離で示してくれるのではないかと思っている。

私の好きな本のひとつに、可能性を辿るヒントになりそうなこんな一節がある。

“さよならが与えてくれた力を信じている”
(伊集院静著『大人の流儀7 さよならの力』より)

さよならに力があるとするなら、このクエストを見届けることが、さよならの力をより深く理解する手助けになるのではないか。

ファーラファーが何を感じ、どうするのか。
そしてこの場所がどのように復興し、歴史の一部になるのか。
その姿を近くで見られることと、力を貸せることが嬉しい。
そして僕は、このクエストの先に何を想うのだろうか。
どんな結末になるかはわからないけれど、愉しんで見届けたいと思う。

皆さんは、エオルゼアでの出会いや別れを通して『さよならの力』を感じたことはありますか?

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