My FC House

FCハウス

歩き始めた僕の初めての拠点。

“僕の”と書いたけれど、”僕だけの”ではない。
僕らのと書けるほどマスターらしいことをしていないし、まだそんな実感も自覚もない。

それでも確かに歩んだ足跡を残させて欲しい。

入って右手、僕の作った最強のキッチン。

白虎の屏風は入室直後の迫力と台所の目隠しを兼ねる。
最初は火元>調理台(流し)>冷蔵庫と配置順に気を付けて置いたものの結局使い勝手の良さそうな配置に落ち着く。
魔法的な何かで安全性は担保されてるよな…!

体は食べたものでできている。
不可能だと思えるほどの冒険を支えるのはきっと地道に積み重ねてきた日々の繰り返しだと思う。それは普段決して日に当たらないし、世界中のほとんどだれも注目しない。
毎日の姿勢を重視していることを考えると、ホールフード中心でいくつかのスパイス類、食事にはそれなりにこだわっているし調理方法にも気を使っているんだろうなと思う。
だからといって徹底はしない。仲間とともに食を楽しむことも冒険を続ける秘訣だろう。
こんなことを考えるってことはもう若くないってことなのかな~w

たまには腕を振るっちまうか。

入り口左手。フロントにはナマズヲが迎える。

来客時のクローク利用はもちろん。日常の身の回りのこともやってくれている。たぶん。きっと。

食事や酒類の配膳等もしてくれる。衛生面は問題ない。おそらく。きっと。

下町の粋な寿司屋を思わせる狭くて洒落たダイニング。
窓を覗けば和装の摩天楼が広がっているのに、そんな景色とは切り離された穏やかな日常。
摩天楼に憧れを抱いて、幸せで穏やかな毎日に退屈を感じているのなら、新しい小さな物語が動き出しそうな気がする。そしていつの間にか、大冒険へ毎日出かけて刺激的なことをしなくてはならないとさえ思ってしまうかもしれない。
いいじゃあないか。のんびりいこうよ。
それでもこころない天使が無難な道とか退屈な毎日とか、いたずらな言葉で誘惑してくるかもしれない。もし心が揺れたら忘れないで欲しい。
全てに満足をしているわけではないにせよ、今手元にある幸せを感じて噛み締められることが、大切なんじゃあないだろうか。誰かから見たら地味だと思えることを自分なりに楽しめることが、何より素敵なことだ。

そんな想いを寿司に込めて、下町の大将は握ってくれる。

ヒレで。

指無さそうだけど握れるんだろうか。
まあ職人だろうから腕は磨かれてるに違いない。おそらく。たぶん。きっと。

場所が変わって地下は和モダンのロフト造り。

ロフトに小上がりの合わせ技。廊下に佇む四聖獣図が空間を引き締める。

水の流れる音と小鳥のさえずり。
佇む鯉たちを眺めながら、自分の心を見遣る。

ひとりで居るには少々広いこの空間を贅沢に独り占めして、孤独に押しつぶされずに過ごす。

何も描かれていないピクチャーフレーム。
数多の冒険をしてきたあなたの心には何が飾られていますか。そう問いかけられているみたいだ。
僕ならここに何を描いて何を飾るだろう。

静謐。(せいひつ)
仲間たちとゆったりとした時間を。それは何にも代え難い素晴らしい時間。
でも僕は、地下の大別したそれぞれの部屋を内省の自己省察の為の空間のように感じた。
瞑想でもいい。

やるべきことに目を向けることは大切だけれど、ほんのひとつまみだけでいいから、自分自身を見つめて自分の考えが深くなる時間を作ったっていいはずだ。

たまにはやることリストを、そのままやらないことリストに書き換えてしまって自分の心に耳を傾けてみて欲しい。

自分だけのために。

そんな静かな時間を過ごすための場所。

我が物顔で書いておきながらなんですが、
このハウジングはうづきさんが作りました。

僕がいじったのは入って右手のキッチンだけですw
しかもテーマは”なんとなく和で”という”とりあえず生で”の語感で言って欲しいオーダーときていますw
良く言えば自由、悪く言えば丸投げな僕の和のイメージを形にするだけに留まらず、僕に必要な心の形を探る時間を与えてくれているのかな~と勝手に解釈していますw

もちろん自由に作ってくれているのですが、僕は人の作品を自由に解釈できるというか、自分はこう感じたと夢想するのが好きなので、(作者の意図や表現の意図をインタビュー等で聞くのも好きです。)僕の目から見たこの世界ではそういうことになっていますw
わがままかもしれないけれど、信じて手放すっていいもんだ。

まさかのこのタイミングでFCマスターの自覚w

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