以前の記事で『意外な結末』についてアレコレ考え、思考を迷子にさせられた(言いがかり)。
このまま苦汁を舐めさせられて(むしろ自分で舐めにいった)黙っていられる性質ではないのである。
制作サイドの思うつぼではないかとも思ったが、コンテストで求められる『意外な結末』がどういうものかを理解するために読んでみることにした。
まとめて書籍を買い、1冊目を読了しふとオーディオブックを開いたら、あった。
僕の買った本たちが丸々。
どうやら苦汁は煮えていたらしい。
まずはオーディオブックで検索すればいいのに。
書籍を買ったならせめて検索をしなければいいのに。
自分とはそれなりに長く付き合ってきたのに、初手で意外な行動をしていると思うなどした。
しかし、買い物のついでにシャンプーを頼まれていて気を付けていたのにリンスを買ったり、飲み物を買いに行って飲み物を買い忘れたりしていることを思いだしたらこれぐらい、苦汁でも煮え湯でもなんでもなかった。
長い間自分やっててよかったw生きるのがへたくそで助かった~。
何を言っているのかわからない人もいるかと思うが、僕にもなんでこうなったのか、こうなるのかわからない。賢い方はドン引きしてしまうかもしれないが、きっとフィクションか壮大な伏線か何かだと思うので許していただきたいw
こうなったらこの激情を作品にしてぶつけてやる!
歪んだ覚悟をして僕は筆を執ったのであった。
そして、そんな僕の歪んだ覚悟の結晶がこちら。なんですが!
※一部残酷な描写がありますので苦手な方はご注意ください。
タグ設定はしていますが、たぶんR15くらいです。
あとがき
なんかこんな皮肉めいた作品になるとは思わなかった。
それはたぶんクロのせいで、クロは僕が思っていたよりもずっと楽観的で、元々自分の生き死にに興味ないタイプみたいで(そんな人(いや猫?)いるんですかね)、自分以外の生物とかを結構下に見ているらしい。
普通こんな酷い目にあったら人間嫌いになると思うし、なるべく関わらないようにしそうなものだが、たぶん人間を映画とか舞台で自分を楽しませてくれる玩具くらいにしか思ってないのかな…。
そしてクロのせいで”私”が霞んだけれど、僕が本来書きたかったのは私だけで、私の正体と行動を意外性にしたかった。
私が吸血鬼で、吸血鬼にもかかわらず、友人になった猫を生き返らせることなく抱きしめて終わるというのが原案で、死ぬことのない吸血鬼なのに、心はずっと弱いままで、親しくなってしまった友人に同じ苦しみを味わわせる覚悟ができない、不死で色々な経験が多いからといって、正しい選択が常にできるわけではない、正しさとは何なのかという、優しくて弱い人間臭さみたいな意外性を書きたかった。
吸血鬼という自分がいるのに自分は都市伝説を信じていない。
少なくとも信じ切れず、疑いを持っている。
信じるのであれば、都市伝説を生みだした人間達こそ自分の生みの親であり神たり得てしまうにもかかわらず、人間は自分より脆く儚い。神ならばもっと万能で全知であるべきではないのか。
結局はそんなことを気にせずに生きていればいいのに、自分の根幹を見つめすぎて、探しすぎて、身動きが取れなくなってしまう不器用な人間くさいただの吸血鬼。
書いてみたもののパンチが弱い。
好きだけど、書きたいけど、意外な結末というテーマへのカタルシスが抜け落ちている気がする。
ここから不死身の二人に世界が変わった。
そしてクロが登場し、迷い、感想が欲しくなり、友人三名に感想を貰った。
オチのパンチが弱いのではないかという僕の懸念は概ね感想と合致して今の形になった。
しかしなぜかまだ、納得のいっていない感がある。
今までに数回書いたあとがきでは、何かやり切った感というか出し切った感があって、いっちょ前に名作を作ったぜみたいな空気感を味わっていたし(調子に乗りすぎである)、その時感じていた感情をあれこれ書きたいという気持ちがとても強くあって、今読んでもその時の高揚が文面に乗っているのがわかる。
今回は迷い、荒ぶる独楽みたいに心ブレる。
さっさと次を書きたいという気持ちと、ずる休みをしてしまったような居心地の悪さがある。
自分の書きたいと思ったことから離れてコンテストを見据えて手直しを加えたもののほうが、やっぱりコンテストの趣旨に乗ったなという実感を得てしまったことが処理できないのだろうか。
考えが散らかっている。
今できる最高の作品ができたと思って、何度か読み直してもやっぱり最高なのに、投稿してから日にちが経ち読み返すと、まだ足りないと思う。
「え?なにが?」と聞かれると難しい。むしろ僕が教えて欲しい。
強いて言うならば”読み手を慮(おもんぱか)ること”だと思うが、自分の不足しているものを説明すること程難しいものはないなと実感する。
感覚的なもので申し訳ないが僕が今回配慮が難しかったことを書いておく。
配ったカードを1枚ずつめくってもらって(読み進めていって)、どういう法則があるのかをどのカードを配った時点で分かってもらうのか。
タネは最終的に誰にでもわかるが、配られたカードを見直したらこんなところからだった的な伏線の張り方にしたつもりだが、ちゃんとカードを配れているのか、配ったカードがちゃんとカードなのか、僕の意図していないカードが作られ配っていないか。
こういうことを”読みやすさ”として考えながらどこまで書くかが難しかった。
例えば作中の”私”が眷属を作ろうと思ったのはクロが3人目で、結局クロは眷属にしなかったけれど、3人目ということは、1文字も書いていない。
噛み切る指の移り変わりで分かる人もいるかもしれないとも思ってはみたが、わかるわけないのであるw
でも、きっと心に無頓着でバンバン眷属をつくるタイプなら、どの指かなんて気にしないだろうし、もしかすると豪快に腕でもちぎっちゃうかもしれない。
私がどんなキャラかを書くには必要な描写だと思えたけれど、文字数だったり、他にもっと描写するべきものを考えたときに配慮と世界観の匙加減はこれで良かったのだろうか。
作品に必要なら書く。
ただこれだけが今の僕にはまだ難しい。
結構長い時間生きているのに、眷属を作らないというのは不自然なのか、それとも私の心の弱さの証明になるのか。
全て書かないというのは”粋”を目指す僕好みだ。
でも、宇宙で一番粋な文章があったとして誰一人にも伝わらないのだったらそれは本当に一番粋なんだろうか。
結局は僕の今の構成力や知識・筆力では書きたかったものから離れて、コンテスト用に寄せることを優先するしかできなかったということが飲み込めないのだろうか。
筆力もそうだけど、知識の量と古典的な基礎の不足を感じる。
僕に足りない知識をAIが何でも教えてくれる世の中になったのに、教わった知識を自分で咀嚼して体の一部にしないと文章にできない。なんでも使う人次第なんだと学の無さと惨めさを味わう。
今感じる惨めさは、呼吸が少し浅くなって組んだ足の指と背筋を無意識に丸め、心臓の揺れを少々感じるくらいのもので、目を閉じてもう少し内面に意識を向けていると、眠気を感じるくらいにはのんきだ。
つい手に力が入ってしまうことを感じるとどうやら、惨めというよりは悔しいようだが、やはり眠気は感じる。もうすこし、悔しさにキーボードを強くたたき涙するとか、下唇をかんで悔しさを実感したとかかっこよく打ちのめされたいものである。
最初の三行
知識や文芸の基礎を学ぶのは習慣の力に任せるとして、個人的に足りなかった点でもうすこしだけ挙げておきたいのは、最初の1行でいかに思考を引っ張れるか、最初の3行でいかに世界に没入してもらうかだと感じた。
練らなかったわけではないが、今読み返すと”説明”に意識ばかりが行ってしまった感がある。
せっかくなので、5分後に意外な結末シリーズ、鬼のツノ(桃戸ハル・橘つばさ 作)、死神の精度(伊坂幸太郎 著)、より一部抜粋させて頂きどういうことか綴っておいてみる。
鬼のツノ
「良子おばちゃん」と、つないだ右手を軽くひっぱられて、私は視線を落とした。
この一行目を読んだ僕は、自室で角の破れたゲーミングチェアに座っているのに、瞬間、良子おばちゃんになった。
僕と同じく良子おばちゃんになってしまった人も既にいるかもしれない。
念のために言っておくと我々は良子おばちゃんではない。
小学二年生になったばかりの雅弘君が、父親によく似た丸い目を私に向けてくる。
つい自分の右側をみてしまうと、そこにはアップで雅弘君の顔があっての丸い目と目が合う。
カメラの位置が鮮明だ。
誰もが容易に想像できる日常の1コマを呼びかけられ手を引っ張られる、という気を引く動作で引き込まれる。
死神の精度
ずいぶん前に床屋の主人が、髪の毛に興味なんてないよ、と私に言ったことがある。
ほう。え?どういうこと?、言われてみればたしかにそうだ、とは思うが少し詳細が気になる。
床屋の主人のセリフが入り、その後の一文にもまた惹きつけられる。
彼はその五日後には通り魔に刺されて死んでしまったのだが、もちろんその時に死を予期していたはずもなく、声は快活で生き生きとしていた。
小さな疑問が気になって、読み進めた先に衝撃的な内容と疑問が待っている。
これはもう沼に飛び込まざるを得ない。自分から潜っていくべきである。
慮る
未読の方は少し興味をそそられたと思われる。
読了している方は、そうそう、井坂作品は、一見ぶっ飛んだ世界を淡々と、当たり前に、説得力を持って、書かれるからページめくらされるんよ。そして登場人物も…と気が付いたら著者の魅力を脳内で語っていることと思われる。
日常寄りな短編集、逆ソクラテス等も機会があればおすすめしたいが今回は見送りたいと思う。
昨今は誰しもが時間がない。
そして活字に代わる娯楽が数多く存在する。
僕は1つのことに時間をかけるのは良しとするタイプだが、それでもやはりオーディオブックや動画の倍速再生は便利だ。
これは面白い作品なんですよという宣言を最初の三行でしなければならない。
ラノベに至ってはタイトルでそれを証明しなければならないような気さえする。
良し悪しを言いたいのではなく、本当にそれくらい時間がないのだ。
そんな時間のない世の中だからこそ、引き込み、時には世界に叩き込む筆力と作家の努力の結晶である冒頭こそ美しいのだと思う。魅力的な一行目が、練り上げられた最初の三行が、読み手への配慮であり、作り手としての矜持を示せる短い短い時間なのかもしれない。
あとがき・セカンド
これだけぐだぐだと書いておきながらまだまだ書きたいことはある。
これでも半分くらい消し去ったし言い訳も尽きないのだが、残りは次作にぶつけようと思う。(あれば)
そして最後になったが、読んで感想をくれた友人、張も艶もない何とも女々しい文をいつも読んで下さっている方々、作品を読んで下さった方々とサイトやイベントの企画運営をして下さった方々への感謝を伝えたい。
未熟な身の程を味わいながら
ぎゅうま

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