そういえば旅から帰ってきてからの出来事。
仕事をして師匠と馴染みの定食屋へ行くと、日常に戻ってきた実感がしてくる。
ハレがあればケもある。つまらないわけではないが、少しの寂しさを感じていた。
師匠は僕のスマホで詰碁をするのが楽しみで、昼食を食べながら詰碁をする。
行儀は悪いかもしれないが、僕もご飯を食べながらゲームをする現代っ子みたいになるとは思っていなかったので放っておいている。
当然僕はさっさと食べ終わり、師匠は一生昼飯を食べている。
無の時間ができる僕は、大抵瞑想したりする。
この日も僕が先に食べ終わり、瞑想をしていた。
隣のテーブル席に気配があったが思考を丹田に戻す。
「今日はどうする?」
察するに常連さんなのだろう。
落ち着いた女性の、柔らかいがどこか耳に残る声だった。
どうするんだろう。
「いつもの」
やっぱり常連さんらしい。老人めいたかすれた声の返事だった。
「冷たいおそばでいいの?」
ああ、やっぱり優しい。ちゃんと覚えてるんだ。
「あったかい……うどん」
全然ちゃうやないかいwww
僕は心の中でツッコミを入れた。
カッと目を見開いて腹筋に力を込めて笑いを堪えた。
急に漫才を始めるのはやめて欲しい。
しかし介護職だった僕は、認知症の方との会話でこういうやり取りは日常茶飯事であった。
ここで笑ってはいけないと思うと、余計におかしくなってしまうのだ。
笑ってもいい。
しかし現場では、笑っても嘲笑とか侮蔑ではなく、ユーモアとして場を和ませることができるキャラクターとして周囲に認知してもらうこと。
何かわからないけど、この人の雰囲気なら大丈夫そうだな。みたいな、本人が感じる信頼感、信頼関係が大切なのだ。
ちらっと隣を見ると、かなり年配の男性がひとり、ご夫婦と思われる初老くらいのペアの三人が一組でテーブルを囲んでいる。年配の男性とご夫婦と思しきペアの奥様が会話をして、旦那様と思しき方は腕を組んで口を真一文字に結んでいた。
僕は瞑想しているということを思い出して、再び目を瞑った。
が、どうも一度気にすると気になってしまうもので、聞いてはいけないなと思いつつも会話を聞いてしまった。
会話から察するに認知症とかではないっぽい。
「いつもの」って言ったものの気が変わるなんてこともあるよな。
漫才を見て、極端に漫才脳みたいになってしまっていたのかもしれない。
どっちかと言うとボケの僕がツッコミを入れることも、もう無いだろう。
「じゃあ、うどんとそばだったらどっちが好きなの?」
あ、これはたしかに気になる。いつもはそばでも今日はうどんだったら聞きたくなる。
僕の思考は再び隣のテーブルに振れた。
「どっちも好きだな」
「そうなんだ」
あ、やっぱりどっちも好きだから「いつもの」とは言ったもののうどんにしちゃったんだな。
中々親しみの持てる方である。
「でも寒い時はそばがいいな」
続けて男性が言って、僕は寒い時にそばというのも中々に乙だと思った。
「あ~寒いとね~」
女性も僕と同じようなことを思ったのだろうか。やんわりと会話を促すような返事をした。
「そんで、夏はやっぱりそば」
一年中そばやないかいwww
さっきの”うどん”どこからきたwww
僕は再び心でツッコミを入れた。
今度は笑いを堪えきれず、吹き出しながらトイレに駆け込んだ。
僕にツッコミをさせないで欲しい。
ニヤニヤしながら早足でトイレに行く僕を見て、仲の良い給仕のおばちゃんからは怪訝な目で見られた。
もしかしたら、僕が気づいていないだけで、日常にはこういう笑いが転がっているのかもしれない。笑いは攻撃と誰かが言っていたのを聞いて、誰かの行動や発言を笑うことを全て悪みたいに思っていた。
どうやら人を”嗤う”のがいけないだけだったみたいだ。
人間味からくる面白さや笑いは好意的でどこか優しさがあって救われる。
旅が、漫才が、出逢いが。
こうやって、戻ってきた日常に、少しの彩りを加えてくれるのかもしれない。

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