自分の為に書き始めたブログ。
一年と少しが経ち、書けない期間もあったけれど、何者でもない僕が何気ない事を書く。
僕が何かを書いていく中で、誰かの励みとか、ちょっとした助けになればいいなと思うようになった。
でも、僕なんかが誰かの役に立てるのかなって思っていたし、今でもたまに思わないでもない。
今はもう少し踏み込んで、何者でもない僕だからこそ、できることがあるのかもしれないと考えられるようになってきた。
わざわざ書くことが、誰かの為になるのかはまだわからない。
僕が社会で打ちのめされて、鬱になった経験さえ、誰かの役に立てたい。
隠しているわけではないが、暗い過去を自分で書くのは、僕はそれなりに恥ずかしい。
立ち上がって前を向くまでの経験を、誰かの役に立てる前に、心の折り目を付ける作業というか、整理をしたい自分もいるんだと思う。
ファンフェスの前に、言葉にしておきたかったのかもしれない。
この記事は、いつも以上に乱文になるし、個人的な告白になると思う。
いつものタイトル詐欺である。
なるべく記事用に整えて書いてみるが、どんな読み味になるかわからない。
読み難い文章にもなるだろうし、時系列もあまり書かずにぼやけさせることになると思う。
それでも読んでくれる人は、ありがとう。どうかお付き合いいただきたい。
明星
いつか、こころない誰かの放った言葉は、僕を殺した。
誰かが弱い僕を殺してくれたおかげで、僕は”言葉”に出会い、生かされている。
僕がブログで何度も取り上げさせてもらっている本。
『吉田の日々赤裸々。2』の「言葉」という記事では、”カッコよく驕る”という言葉が度々登場する。
この言葉は、僕の人生を変えた。
吉田さん自身も、スカリー女史(著書内の呼称)に貰った言葉だ。
『吉田の日々赤裸々。2』のことについても、影響を受けたと書いておきながら、実際に何がどう変わったかを示さないというのは、説得力がないのかなとも思う。
別にそんなものなくてもいいのだけれど、なんとなく書いた方が良いような気がする。
吉田さんの綴った、”カッコよく驕る”という言葉のニュアンスとは少し違うかもしれない。
でも、僕は「言葉」という記事を読んで、自分の何かを他人のせいにするのはもうやめようと思った。
他にもいくつかの出来事が重なったから、この記事一つで全てが変わったかどうかはわからないけれど、この記事が与えてくれた”言葉”は僕を成すひとつだと、確実に言える。
心が変わって、僕は少しずつ習慣を変えた。
運動着に着替えることから始めた。
次の日は靴を履き、また次の日は3mだけ散歩した。
比喩ではない。
散歩は5mになり、10mになり、3分になり、10分になった。
調子に乗って30分歩いた次の日は、負担になって3分に戻った。
靴擦れで足が痛いときは、靴下で歩いてみた。
夜中だったから、他人には会わないで済んだけれど、踵が痛くなってまた3分に戻った。
足が痛いと、仕事はおろか日常動作でさえも気が沈んだ。
足が悪い高齢者は、仕事柄いくらでも見てきたけれど、健康って大事なんだと痛感した。
進んでは戻りをくり返したけれど、やめなかった。
そうやって一年が経ち、二年くらい経った頃だろうか。
少し変わった心は、僕の体に大きな変化を与えた。
どれくらい変わったかと言うと、体重が半分くらいになった。
半分は少し大袈裟かもしれないけれど、130kgで少しおつりがくる位から、一時は65kg位になった。
他にも変わったことはあるけれど、わかりやすい例は体重なのかなと思う。
この頃は筋肉が落ちすぎたのか、何をするにしてもすぐに疲れ、立ち眩みも頻繁にあった。
それなりに不調だったので、ダイエットをお考えの方は、減量ペース等は専門の方に相談し、真似しないようにして欲しい。ちなみに今は70kg位で不調なくそれなりに過ごせているので、僕の心配は無用だ。
事実なので仕方がないのだが、たったこれだけのことを書くのには、随分と勇気が必要だった。
写真やアプリの体重の推移を公開すれば、説得力が増すのはわかるが、そこまでの勇気はまだない。
冷静に考えてみれば、この世界のどこかにいる女々しいおじさんが、多少太ったり痩せたりしているだけのことなのだが、今は”言葉”に背中を押してもらっているので、許して欲しい。
端折ってはいるが、実例を挙げたことで、少し伝わっただろうか。
吉田さんの綴った「言葉」が、僕の人生を変えたと言ってもいいと思う。
流行りに乗って、FF14やったら人生変わりすぎたwwwなんていうタイトルで文章を書けそうだと思うし、書きたいとは思うけれど、辛い頃を思い出しながら書くという工程を辿る覚悟が、まだ決まらない。
雨夜の月
もっと正直に書くと、僕はFF14で喧嘩別れをしたフレンドがいる。
僕が打ちのめされるほんの少しだけ前のことだ。
FF11時代から冒険を共にしたフレンドと、喧嘩をしたのだ。
僕が吐いた言葉が、彼を殺した。
念のため書いておくと、記事内の「殺した」はどれも比喩表現なので安心頂きたい。
もしかすると、打ちのめされた頃の僕に降りかかったこころない言葉の数々は、報いだったのかもしれない。
失う時は本当にとことん失うもので、何もかもうまくいかなかった。
先に書いた覚悟と同じで、この経験も文章にすれば、物語になる。
その物語が誰かの日常に、ちょっとした楽しみとか励みになれば、こんなに嬉しいことは無い。
でも、昔のことだからと割り切って、喧嘩した相手のことも考えずにひとつの美談めいた物語にしてしまうということは、僕にはどうしてもできない。
それに僕は喧嘩と思っているけれど、相手がどう思っているかわからない。
喧嘩両成敗という言葉が良いのか悪いのか……、当てはまるのか……。
言葉の評価を置いておいたとして、お互いに多かれ少なかれ嫌な気分になったことは事実だし、改めて文章にしたところで、誰が幸せになるのだろうとも考えてしまう。
自分が悪いと思ったことを、素直に謝るということもできていない。
“この頃”のことを書くとすれば、それは僕からの視点で物事が進む。
僕がどんなに気を付けて書いたとしても、僕自身の心情を書くこと自体が言い訳や免罪符になるのに、相手は一方的に悪く見えてしまうと思う。
散々付き合ってきたフレンドだから、相手に成りきって心情を書けたとしても、自分と比べてしまったらどうしたってリアリティに欠ける。
それはフェアじゃないし、喧嘩別れしたとはいえ、少なくない青春を共にしたフレンドを悪く書くなんてやっぱりできない。
互いの”行い”のことはわからない。
ただ、嫌な気持ちにさせてしまったことへの謝罪と、喧嘩するまで、僕を含めたFCやLSのためにほんとうに多くの時間と心を割いてくれたことへの感謝は伝えたかった。
一言ではとても表せないけれど、仲間想いの、とても良いリーダーだった。
本当は会って伝えたいけれど、そんな機会も、もう、無いのかなと思う。
すまん。さんくす。
ちゃんと、人として好きだったよ。遠くから、健康と幸せを祈ってる。
あの頃みたいに、「おいおいwww」って、言ってくれるだろうか。
今なら、「俺もまあ悪いところもあったかもな」って、言ってくれるだろうか。
こんなことを書くことも、卑怯なのかな。
でも、そんなログが流れる景色を、つい考えてしまうよ。
どうすればよかったんだろうね。
何度も、考えてる。
灰色の縁の、古くて小さいブラウン管に映る、極彩色の檻の世界に戻れたらいいのに。
どうすればいいんだろうね。
ずっと探してる。言葉を。
雨夜の中に、見つけることのできない月を探すように。
これは僕の為?彼の為?一体、誰の為なんだろうか。
これがもし祈りなら、知辺になればいいのに。
寄せては返す、後悔という苦しみに溺れながら。
思い出と「言葉」が、暁星のように、最期まで輝き続けている。
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